被災された方が一日も早く普通の生活に戻っていただきたい
そう切に願っているボランティア達を乗せたバスは
夜9時に横浜を出発しました。
行き先は宮城県東松島市。
石巻のお隣で津波の被害が重大だった地域です。
東北自動車道も茨城県に入った頃から地震で出来た段差で
ガタガタ揺れ始めました。
宮城県に入り菅生パーキングエリアで停車し就寝します。
目はつぶってはいたけど眠れません。
窓の外には、あちこちから来たボランティアバスでいっぱいです。
地面には亀裂ができていました。
朝5時に起床。
パーキングエリアのベンチで朝食を食べていると
いろんなボランティアバスの方々もお目覚めの時間なのか
続々と出てこられたので、ご挨拶したりお喋りしたり。
普通ならパーキングエリアで知らない方とお喋りなんて考えられないけど
目的が同じ人同士だと気軽に会話ができてしまいますね。
しかし、朝の5時過ぎに外でパンを食べるなんて貴重な経験。
「仙台→」の標識を見て、「ついにここまで来た!」と
万感の思いが込み上げます。
震災直後、募金しかできない自分が申し訳なくて
支援物資のボランティアを始めました。
現地へ行って活動したい気持ちは山々でしたが
その頃はまだプロのボランティアでも大変な状況でした。
そのうちNPO法人によるツアーも始まりましたが
1週間行きっぱなしは私には自信がありません。
5月に入り、神奈川県の災害ボランティアでバスツアーが始まり
1泊2日だったら気軽に参加できるし、これを利用しない手はないと
速攻で申し込んだつもりでしたが、即座に定員に達してしまい
何度もはじかれ、やっと今回参加する事ができました。
なんとNHKのアナウンサーや撮影隊も同行する便でした。
高速を降り、いよいよ東松島市に到着しました。
悪臭のようなにおいは全くなく、潮の香りがしています。
閑静な住宅地に瓦礫や土のうが山積みにされていて
自衛隊の車や重機が並んでいます。
仮設住宅もたくさん建設されていました。
避難所よりはマシかもしれませんが
プレハブの長屋造りの仮設住宅を眺めていると
「もう少し家らしいものを建てるわけにはいかないのだろうか?」
と、今後何年かの暮らしを心配してしまいます。
東松島のボランティアセンターの方と合流し説明を受けました。
ここには、いろんな地域から来たボランティア団体が集まっています。
知らない者同士が笑顔で元気にご挨拶。気持ちが良いです。
そういえば昔、「ボランティアが忘れてはいけないのは笑顔と挨拶です。」
と、どこかで聞いたのを思い出しました。
やたらマッチョでイケメン揃いの団体ともすれ違いましたが
あの人たちは何だったんだろう?なぞです。
お願いされた作業は津波で流れ込んで来たドロの撤去です。
海水が腰のあたりまで来て、何日間かはかん水したままだったそうです。
作業場所は民家や畑。
民家はもちろん、畑も生き残った野菜の部分は残しながら掘るので
重機は使えず人間の手作業でしかできません。
こういう作業を業者さんに頼んだら、復興費用がいくらあっても足りません。
だからボランティア!
無償の奉仕どころか、お金がかかりますが必要不可欠な活動です。
ドロを土のうにひたすら詰めて運びます。
この土のうがメチャクチャ重いのですが
男性陣がワシワシと運んでくれるので助かります。
同じグループに大学生の男の子がいましたが
張り切って運んでくれました。
仕分けボランティアをした時も感じましたが
20歳前後の男子って、細っこい子でも
ものすごく力持ちなんですよね。
しかも、黙々とよく働くのです。
パソコンや携帯ばかりいじっているから
力なんてないかと思いきや、とんでもありません。
参加費用の6千円も自分でバイトしたお金で捻出したそうです。
学生さんにとって6千円は決して安くはありませんが
損をすることはひとつも無いと思います。
むしろ得る事の方が大きいかと。
若いころの体験は、その後の人生に大きな影響を及ぼしてくれます。
だけど、できる事なら学生さんや、現在無職の方は
参加費用を安くするとか、用具を貸し出すとか
なるべくお金をかけずに参加できるシステムにすれば
長いスパンでの支援もしやすくなるのにと感じました。
大学によってはボランティアバスを出している学校もありますが
すごく良い事だと思います。
以前、ボランティアで一緒になった大学生の子から
「就職活動に有利だからとか単位もらえるからとか
そういう目で見られてしまう」と嘆いているのを聞きましたが
人助けをしたうえに就活にも有利なんて良い事づくめじゃないですか!
これから日本を立て直す世代の人達が実際に被災地に行って
労力を提供したのかしなかったのかでは全然違うと思うのです。
だからこそ、ムスメも行ってほしいと思っています。
うちのオットにもヘタレ精神を鍛えなおしてほしいので
ぜひとも行ってほしいです。
私もかなり価値観が変わりました。
今まで豊かに思えた事が薄っぺらく見えたり
今後は人との関わり方も変わると思います。
作業を続けるうちに、心配していた雨が降って来ました。
基本的に雨が降れば活動は中止なのですが
誰もやめることなく。ひたすら働き続けています。
土の中から写真を見つけました。
可愛い赤ちゃんの写真と、お父さんと子供たちがお風呂に入っている写真を。
みな、はじけるような笑顔で写っています。
「どうか・・・お願い生きていて」
深く深く祈りながらドロをぬぐいます。
午後からは雨がかなり強くなってきて、みな泥まみれ。
「撤収!」の言葉を聞きたくなくてリーダーとは
目を合わさないようにしていました。(笑)
でも無情にも雨足はどんどん強くなり
とうとう作業が中止になってしまいました。
すごく残念です。
雨の中を歩いていると惨憺たる景色が飛び込んで来ました。
はるか彼方まで続く、瓦礫の地平線です。
「こんなに遠くまで津波が?」
みな言葉を失い、ただただ茫然と見つめていました。
この光景を見ていると、震災直後に買いだめに翻弄していた都会の人の行為が
どれだけ滑稽だったのか思い知らされます。
震災前の同じ場所からの光景をストリートビューで見る事ができました。
大きな地図で見る
のどかな田園風景が広がり、本来なら田植えも終わり
カエルが賑やかに鳴く頃でしょう。
遠くの方に打ち上げられたタンカーや船が見えます。
その光景は映像や写真で見たのとは比べものにならないほど
果てしなく広く壮絶でした。
よそから来た私が大きなショックを受けるぐらいですから
暮らしている方々は壊れてしまった景色を見てどんなにお辛いか。
色を失った景色の中に真新しいお花が手向けられていて
そこだけが色が鮮やかに浮き出ていて涙が出ました。
手を合わせご冥福をお祈りします。
東松島市 5月28日現在
お亡くなりになられた方 1038名
行方不明の方 260名
避難されている方 2170名
約4780棟の住宅が全壊
今回の震災で世の中は不公平だとつくづく感じました。
たった一日で今まで築き上げてきた全てを失った方がいる。
かけがえのない大切な人を失った方がいる。
帰る家や生きる糧である仕事を失った方がいる。
これから生きて行く望みや気力を失った方もいる。
あの日を境に普通の生活ができなくなってしまった方が
日本にはたくさんいらっしゃる。
なのに私はあの日の後も普通の生活ができている。
「困っている人がいたら助けましょう」
と、親からも先生からも言われて育ったはずです。
親であれば自分の子供もそう育ってほしいと願います。
なのにいま困っている人がたくさんいるのに
「忙しくて無理!」では矛盾しています。
一日も早く普通の生活に戻るには
いま普通の生活ができている人が助けなければ。
それは当たり前のこと。
被災された方の言葉です。
「津波が被って家の中も畑も泥まみれになり
命は助かったものの生きる気力も失って茫然と暮らしていた。
そのうちボランティアが入れ替わり立ち替わり来るようになり
家の中を綺麗にして行った。畑の瓦礫を片付けてくれた。
生きる場所を作ってくれたんだ、頑張るしかないよね。
感謝するどころの話じゃない。ある意味命の恩人だもの。
本当にありがたい。」
被災された所は海産物や農産物、酪農など宝物がつまっていました。
日本人にとって自慢の場所です。
雨の日も雪の日も暑い日差しの下でも
働いてくれたからこその産物です。
感謝するのは、こちらのほうです。
宝物が奪われてしまい、とても悲しいです。
また、いつか宝物を生産して頂きたい。
だから復興するまで応援させてください。
今回は雨で作業が予定より早く終了したせいか、あまり疲れず
もう1泊して作業ができるぐらいの余力は残っていました。
こっちで支援物資の仕分けボランティアをしていた時の方が
何十個も重い段ボールを運んでいたので、よっぽど疲れました。
自力で行ってたら疲れたのかもしれませんが
バスが連れて行ってくれるので楽ちんでした。
行きのバスでは眠れなかったものの帰りには熟睡できて
元は取れたし、食事も途中のパーキングエリアで食べたり買えたりするので
困ることもなく、コンビニもやっていたので不自由はありません。
トイレ事情だけが心配でしたが、高速ではちょこちょことトイレ休憩をとってくれたし
場所にもよるのかもしれませんが、現在の東松島は水洗のお水も流れ
トイレットペーパーもちゃんとあるので全く困りませんでした。
行きたい気持ちはあるけど、ためらっている方は
ぜひとも行ってみてください。
あなたが行けば必ず助かる方がいらっしゃいます。
こちらではボランティアバスの募集が随時更新されているので
参考になると思います。
↓
東日本大震災支援全国ネットワーク調べボランティアバス一覧
都合がつく日にちを選んで行けば無理なく参加できると思います。
実際、私が乗ったバスは集合が夜8時だったので
お仕事帰りの方も多数いらっしゃいました。(スゴイ!)
多分、東京近郊から出ているバス泊便は深夜発だと思われます。
バス泊がイヤなら、お値段は高くなりますが旅館に宿泊できるツアーもあります。
でも、「手伝いに来てやってる」という恩着せがましい人は行かないでください。
バスの雰囲気が悪くなるし、被災地の方々にたいへん失礼です。
乗っている時間が長いので雰囲気悪くなると最悪です。
だけど大多数の方はとても感じが良く優しい方ばかりで
すぐに打ち解けることができました。
他のボランティアの方々から教わる事も多く
とても充実した時間を過ごすことができました。
東松島の方もおっしゃっていましたが
長い支援を望まれています。
1回限りではなく、何度も足を運ぶ事が大切ですが
やはり家庭や仕事の事もあり、1人の人がしょっちゅうは行かれないので
たくさんの参加者が必要になると思います。
だけど不思議なことに、行くとまたすぐ行きたくなってしまいます。
何度も参加されている方もそうおっしゃっていました。
1度しか訪れてない場所なのに、すごく愛着がわいてしまうと。
早く復興した姿を見たいと。
私もまた行ってしまうと思います。
今回の様子が神奈川災害ボランティアネットワーク東日本大震災特設サイトに
アップされています。良かったら見てみてください。
行こうかどうしようかと迷ってらっしゃるかたには流れが掴めるので
参考になるかと思います。
↓
【速報】5/27-5/28運行の東松島市行きボランティアバスから